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2009.04.24 誕生日
そろそろふたりが誕生した日までのことを、書こうと思います。
今まで書かなかったのは、特別大きな理由があったからではなく、単にとても長くなりそうだったからです。なので、ちょっとずつちょっとずつ下書きをしてきて、やっと日の目をみることとなりました。

私、はは が、お腹の中に赤ちゃんがいると知ったのは、ちょうど一年前の今日、4月24日。そしてちょうどその日は、旦那さんの32歳の誕生日でした。
もしかして、と思ったのは、もうちょっと前だけれど、どうせなら誕生日に二人して驚いちゃおう、ということで旦那さんには内緒で誕生会の真っ最中にトイレで調べてみました。出てきた結果は陽性。
まさかまさかで、本当に赤ちゃんがいると分かった瞬間は、まだ結婚したばかりだったし、新しい土地での生活にも慣れていなかったので、嬉しかったと同時に不安も大きかったです。
それは、旦那さんも同じだったようで、二人してア然としてしまいました。

その一週間後、きちんと病院で調べてもらい、間違えないとのことで、私たち夫婦の妊娠生活がスタートしました。

スタートとほぼ同時に現れたのが、とてつもないつわり。始めは、あんまり食欲ないなー、とか、これは食べられないなー、とかかわいいものでした。それが、あっという間に気持ち悪くて起き上がれなくなり、果物や、ゼリーやパンだけしか食べられなくなり、それも食べても出てしまい、結局何も食べられないし、水も吐くというところまでひどくなりました。
旦那さんには何もしてあげられず、病院で点滴を打ってもらう始末。もう何もできず、逆に全部してもらわなくてはならなくなり、実家へと帰ったのが4ヶ月に入った時のことでした。

新居の近所の産婦人科の先生は80近いおばあちゃんで,検診に行ってもいろんな話を(赤ちゃんのことではなく,ほぼ先生の話、、、)一人でしゃべってはい終わり。という感じで,待ち時間は長いし病院へ行くのが辛かったです。
実家へ帰っても検診へ行くつもりはなく,つわりが収まり次第新居へと戻る予定でした。ところが,一向につわりが収まる気配がなく,ひどいままなので実家近くの産婦人科で点滴を打ってもらうことに。何日か通って症状は落ち着いたもののまだ帰れそうになかったので,結局一度検診を受けてみることになりました。

さあ,その検診の日,今までの人生で一番衝撃的な一日でした、、、。
お腹のエコーの画像を先生と、私と母と姉、みんなで見ていたところ、明らかにおかしな画像がでてきました。
私、「ん??」先生、「ん??」その場のみんなが「ん??」な瞬間でした。
画面には、輪切りにされた頭がぽんぽんと2つ並んでいるではないですか!!?
初めは、胴が一緒に写っているんだと思ったけれど、それにしてはあまりに体の向きがおかしすぎるし、全く同じサイズの輪っかでした。
先生、「これ、双子やで。」
私、母、姉、「えーーー!!!」
何が何なのか全く分からない状態とはあのことで、頭が混乱していました。嬉しいとか、どうしようとか、そんな感情は全くなく、ただただびっくり!!!
先生、「前の病院では、何も言われんかったん?」
ええ、ええ、先生は自分の話しばっかりして、双子だなんて一言も言ってくれませんでしたよ、、、。
「普通はもっと早い段階できちんと調べて分かるはずなんやけどなぁ。うまいこと隠れて見えんかったんかもなぁ。」とのことでした。
帰り道、私の母は、仕事辞めんとだめかしら、双子なんて大変よー!!と、半分パニックでしたが、私自身は落ち着いたもので、「妊娠生活落ち着かなかったのは、このせいかー。やっと妊娠という事実を受け入れられるわー。」という感じ。
家に帰ってひしひしと双子ちゃん妊娠の喜びを一人でかみしめておりました。

さてさて不思議なもので、双子と分かった次の日から、あれだけ辛かったつわりがどんどん楽になっていき、全快とはいかないまでも食事ができるようになっていきました。食事がとれると体力も少しずつ戻り、動けるようになりました。
「ふたごのはは」を自覚したら、しっかりしないとな!と、身体が反応したのかもしれません。
そうして6ヶ月に入った頃には普通に食事ができるようになりました。

つわりがやっと収まったのは嬉しかったのですが、今度は違う問題が。
やっと、旦那さんのところへ戻れると思ったところ、新しく紹介された総合病院の先生いわく、
「きちんと様子を見ていかないと、いつ何があるかわからないし、危険なんだよ。次2週間後ね。」
「あのー、家が○○○(新幹線入れて3時間ぐらいかかるとこ)なんですけど、帰ってもいいですか?」
「帰れるのは、20週までだね。あぁ、ちょうどあと2週間だね。20週からは毎週来てもらうから。」
「、、、(がびーん)。わかりました。じゃあ、2週間だけ帰ります、、、。」
こうして夫婦2人の新婚生活は残り2週間で終わったのでした。


実家へ帰って3ヶ月毎週病院へ通い、9ヶ月に入った頃からいよいよ管理入院生活の始まりでした。
入院生活は辛いことばかりではなく、いいこともいっぱいありました。一番は、いい友達がたくさん出来たこと。
あと嬉しかったのは、電動で寝たり起きたり出来るベッドだったことで、もうすでに、一人で起き上がることの難しかった私には、神の救いでした。
入院する前から、寝返りが自然にうてなくて、ぐっすりと眠れず疲れがとれない生活が続き、辛かったです。
でもお腹は順調と言われ続け、ふたりの体重も2週間分ぐらい大きい(双子なのに婦単胎の平均より)と言われ、何も心配ないと思っていた入院生活でした。

そう、ふたりの誕生した日までは、、、。


37週の正期産になって4日目、入院以来ずっと打っていた張り止め(赤ちゃんが早く生まれないようにする薬)の点滴を抜きました。
早い人は、その日のうちに陣痛が始まるらしく、私はお腹もいっぱいいっぱいで点滴の量も多かったことから、早い人の部類に入っているだろうと覚悟をしていました。
夕方からお腹の張りも少し強くなり、このまま朝方に出産かと思っていた夜中、お腹も痛いけれど頭もガンガン痛くなり。深夜3時過ぎを最後にに私の意識は飛びました。

次に気付いた時は暗いICUのベッドの上。お腹は、もう引っ込んでいたんです、、、。

訳が分からず、体も動かず意識も朦朧としてそのまま、また眠りについたような気がします。次は何をしたとか、誰と話したとか、今でも記憶がはっきりしません。

何があったのかというと,妊娠高血圧症の子癇発作(しかんほっさ)というものが起こり,誰もいない部屋で痙攣を起こして意識を失っていたらしいです。
幸い,お腹のふたりのうちどちらかが動いて(赤ちゃんの心音を計るモニターをお腹に巻いていた)異変をナースステーションにいる看護師さんに伝えてくれて早期に発見してもらえたようですが,他の患者さんの分娩などで忙しく,そのままになっていたら、、、と思うとぞっとします。
発見されたあとは緊急で先生達や,うちの家族や旦那さんが呼ばれ,早朝に緊急帝王切開術となりました。
帝王切開が終わってふたりは保育器に入れられ出てきたけれど,私がなかなか出てこなくて家族はものすごく不安だったらしいです。

そして,術後も大量出血で輸血をしたり,再度痙攣を起こしたりと,安心できない状態が続いたので,ICUに入っていたようです。
結局一週間ほどベッドの上で寝たきり食事は点滴のみの生活が続き,ようやく一日の記憶も覚えておけるようになり,初めてふたりを抱かせてもらえました。
そこからはもりもりご飯を食べてどんどん回復し,ようやく歩けるようになり,脳も元通りに近づき,産後3週間程度の入院で済みました。


産後は今まで(今も)ばたばたしていて,ゆっくりと出産前後のことを考える時間がありませんでした。(子癇発作のことも今日初めて調べたし、、、)
けれど今改めて,ここでこうしてふたりの成長を自分の目で見て,ふれることができることにもっともっと感謝しなければいけないなぁと思います。

ははの異変を知らせてくれたふたり,いつも傍で支えてくれている家族のみんな,たまにしか会えないけれど遠くで見守っていてくれている家族や友達たち,3人の命を守ってくれた病院のお医者さんや看護師さんたち,
そしてそして遠くにいてもいつも私たち3人のことを一番に考え,思いやってくれている旦那様,

ほんとうにほんとうにありがとうございます。

この一年は結婚から双子の妊娠,大変な出産と,本当に本当に怒涛の一年でした。
でも今はこうして大変ではあるけれど,育児を楽しむことができていて,とっても幸せです。
もうすぐ家族4人が毎日一緒にいられるようになるしね。

命の危険を体験して初めて知ることができた,普通に生活できるということの大切さ。ありがたさ。
これからも一日一日を大事に生きていかなくてはな、、、と思っています。

なーんて,そんな悠長なことを言ってられないドタバタで,あっという間に一日が過ぎてしまっていますけどね

みなさんこれからもよろしくお願いいたします。
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